軽くブルーっす

 来週の提出は諦めるべきかもしれない。遊びすぎだ…。遊びついでに、『第1回 エンタ!検定』などというアホな検定を受けてしまった。『エンタの玄人』らしい。書籍5点は、低過ぎなのか?『ローレライ』の作家とか千代田区にある雑誌社とかの質問されても、わかるわけないっす…。なんか、軽くヤな感じっす。
 昨日、NHKでやってた『アフリカと世界と日本と』などという番組も、結構ヤな感じ盛り沢山なお話だった。国連のジェノサイド認定の甘さなどから見える放置プレイ,それに対する報道側の無関心,日本の貸付に対する疑問,アフリカグローバル化における問題の多発,チャリティーや国連などの根本的な間違い、などなどをチラホラ、もしくは、しつこくやっていた。
 でも、アフリカ問題に詳しい人々やお偉いさん(1名だけ)が出てきても、山積する問題をひたすらに拡大させて論じ合っていただけであったように思える。まあ、皆さん重々わかってらっしゃるもんね…。構造的差別は、資本主義の基本ですから…。アフリカや途上国諸国が途上国たる所以を生み出しているのは、教育不足なんかじゃなくて、既得権益を獲得してそれを拡大するシステムを止められない我々先進国ですからね。エイズ薬を著作権なしにコピーする権利を得た南アフリカが、アメリカとの貿易摩擦を恐れて、庶民に買えない価格のアメリカのエイズ薬を輸入する話なんて、ちょっとした縮図でしたよ。どうせ日本とかも、医療援助とか言って格安だとしても、アメリカ企業とかから薬品を大量に買い付けて送ったりしてるんだよね。
 まあ、ブルーな気持ちになったのは、アフリカの話を論じている人達を見ながら、日本自体の諸問題について勝手に憂いて、嫌な事を思い出したからなんだけど。国債だけじゃなくて、外国とか、それこそアザラシとかクジラとかに目を向けていられるほど、日本は素敵な国じゃないよね?もちろん、問題を抱えてない国なんて、基本的には有りはしないけど。まあ、モナコとかバチカンなんかは、少なそうだけどね。失業者やホームレスなんかは。
 ホームレスと言えば、東京では大田区ってイメージを勝手に持っているけど、神奈川では川崎で大抵の人は納得してくれると思う。大阪ならば、西成区で西成公園は200人近いホームレスが暮らしているらしい。2001年の調査では、東京のホームレス4300人に対して、大阪は8660人とか言われてて、まさに倍ですね…。川崎が750人ってのは、逆に少なく感じます。
 もちろん、ニートの進化系がホームレスっていうんなら、自業自得だったりするんだろうけど、そうでない人も大勢いるよね。【競争社会における敗北者たち】なんて言葉で切り捨てれば、心は軽くなるのかもしれないけど、アフリカ人やゴマちゃんなんかよりは、よっぽど身近な人々なのに…。それでも、平気で見て見ぬ振りができるようになってしまったり、「あの人たちはロクデナシだ」なんて教えられて育ったりするわけだ。特に西成なんかは、逃亡者なんかも大勢いるから、違う面でも充分注意すべき所があるんだけど、放置ですかね?
 とりあえず、食う事はできる人は大勢いるけど、様々な形で病んで苦しんでいる同邦人を視界から遠ざけて、「日本は、とても豊かな国です」なんてアフリカで語る慈善家には、しばしば嫌悪感を感じます。
 以前、通天閣からしばらく歩いて道に迷ったら、付近の凄く寂れた商店街に入ってしまった事がある。その時、1泊1000円の宿の近くで、身に着けていたボロボロのジャンパーとかラジオとかを下を向いて恥ずかしそうに売るオッチャンなんかを目にして、凄くブルーになった。帰りに改札近くで乞食をするオバチャンに、珍しく1000円だけ手渡したけど、「にいちゃん、ごめんなあ。ごめんなさぁい」って申し訳なさそうに謝られた時は、なんか泣きそうになったな。
 まあ、お礼が聞きたかったわけじゃないけど、情けないのはこっちも同じだからね。『世の中を良くしよう!』なんて活動には、1度だって参加したことがないほど、現状を維持させている人間の一人だし。もちろん、本気で世の中を良くしようと思って、活動家になろうと必死に頑張ったりしたら、結果、僕はテロリストになるだろうね。邪に良くしようとして、政治家になれたとしたら、きっと邪に生きるんだよ。世の中って、良く出来てるもんさ…。