50 First Dates たぶん面白い

「世界の中心で愛を叫ぶ」とか「今会いに行きます」とかいうサブイボものの映画が日本で公開されている時期に、「50 First Dates(50回目のファーストキス)」が数週に渡ってアメリカチャートNo1を記録したり、アカデミー脚本賞を取った「エターナル・サンシャイン」がしぶいヒットを飛ばしていた。
アメリカ万歳主義ではないつもりだが、恋愛映画に見られる恋愛観についてはアメリカが優れていると言うより、日本のソレがひどく寒い・・・。
日本で大ヒットを飛ばしていたセカチュウとかピカチュウとかイマチュウとかだが(韓国は、ハイチュウまでパクって販売してやがる)、ある種上記のアメリカ映画とテーマ的には似ていると思える。日本が「思い出に浸り系」でアメリカが「記憶に翻弄される系」。どっちも、ハイステータス同士の美男美女が時には拳を振るってでも社会的障害を乗り越えて恋を成就する、といったシェイクスピア的な恋愛話でない点においては、ステレオタイプに終始しないものを生み出す努力をしている、と言えるだろう。
しかし、ここ数年の日本の恋愛系映画(解夏とか、黄泉帰りも含めて)は、恋人が死ぬ,恋人が死んでる,恋人が目が見えなくなる,とか・・・飽きれてくるが・・・ただ相手が可愛そうなだけだろう・・・って物語が乱発している。お笑い芸人の鉄拳のネタみたいだよね。「こんな恋人は嫌だ!恋人が死んじゃってる。なんか目が見えなくなるからって別れ話を切り出される。昔の死んだ彼女のことばっか言ってる」って紙芝居やって欲しくなるよ。
「思いで浸り系」でとりわけヤラシイのは、「恋人かわいそう、そして俺もかわいそう、助けてあげて〜、嗚呼愛したんだよ〜・・・。そして、こんなに愛し合えた俺たちって幸せだったぜフッ」みたいな、助けて助けて言うけど全部自己完結。まあ、それ以前に設定から見て「そんなに恋人を苦しめたいの?」って言いたくなる。
その点、同時期に流行っていた洋物の「50 First Dates」とか「エターナル・サンシャイン」ってのは、記憶から自分が消えてしまう,自分の記憶から彼女を消してしまう、っていう自分主導のお話である。自分が記憶障害の彼女の心に如何にして留まれるか?ってのと、記憶削除中に「私を忘れないで」っていう彼女の記憶に遭遇した男がなにをするのか?って話である。
またダラダラ説明的になってしまったが、とにかく相手が死ぬっていう話は安直過ぎである。なにせ、死んでりゃ、なんでも美談でなんでも悲しくできてしまうのだから。付き合っている恋人が、昔付き合ってた相手とのやり取りを押さえてたテープなんか聞いて、一人で泣いてたらどうしますか?気持ち悪くない?テープの相手が普通に結婚して、年賀状なんか送ってきたりなんかしてきたらさ。
しかし、なんか簡潔に書くコツってないかな・・・。ちなみに、上記の映画、全部、見てません!