精神力の問題?それともモラリズムか?

僕は一般的な人よりも、圧倒的に下手なものがあると自覚している。
電車内や床屋なんかで、度々痛感させられるのだが、周りに他人がいた方が笑いを堪える事が下手になる。成人するまでは大して問題にしていなかったのだが、さすがに相応の年齢になれば、公共性の高い場所において不謹慎な行動は避けなければならない・・・。
もちろん、他人同士が面白いことを言い合っている影で、笑いを堪え切れなくてもたいていの場合、気付かれないか気にはされない。問題は、物凄いバカップルなどの普通の話があまりにバカすぎて吹き出してしまう場合や、知的障害者の絶妙な間でのシュールな一言に耐えられないことである。
先月のマリノスVSバルセロナバルサ)の試合が行われて日に、電車で横浜に向かっていた折り、試合観戦後の両陣営のサポーター達が大量に乗り込んできた。隣にはロナウジーニョとデコのバルサユニフォームを着たカップルが、無理やりスペースを作って座り込む。
女「凄かったね〜」男「マジヤベーって」女「でもロナウジーニョいなくなかった?」俺『代表で来れねーんだよ。なんでロナウジーニョのユニフォーム着てんだよ・・・。』男「ああ、マジいなくなかった?」俺『お前もか・・・』女「でも凄かったね〜」男「ああ、マジヤベーって!」俺『さっき聞いたってそれ』男「なんっつーかさー・・・」俺『笑いそうになって来たから黙っててよ』男「ダースベータってマジやばくない?」俺「プッ!・・・うううん」って咳払い、周りの冷たい視線・・・。他の人、よく耐えられるよね・・・。ロナウジーニョの話してたのに、ダースベーダだよ?耐えられるなんて超人だよ。しかも、ダースベーダーはそりゃあヤバイだろうし。
で、本日が問題の知的障害者のお方・・・。もちろん、「キー」とか「アウー」とか言ってても、それは面白いとか言う次元のものでなくて、脳の働きがそうさせてんだから笑ったりなんてことはない。問題はそれを見て、ニタニタしてる奴の顔が面白かったりすると、その段階で笑い耐久度が限界値に来てしまう。今日は目の前のオッサンが、頭叩いて「キーキー」叫ぶ人を見て、満面の笑みを浮かべていた・・・。笑いの耐久度が限界値に達する前に僕は目を閉じる。
「キー、アアアアアウ!」俺『激しくなってきやがったなあ、ブルース・リーかよ』「アアアー、本日は晴天なり快晴なり神奈川県は」俺『ああ、快晴だね』「とまむ!」俺『あああ・・・。そっちかよ。それは、北海道だよアンタ。にせこ、とか、とまむ、って面白地名だよ』「アアアー、ウウウッ・・・」しばらく訪れる静寂、とまむを忘れる為に、頭の中で【北の国から】でおなじみの富良野の映像に差し替え、北海道の連想は全部こっちにしてしまうことにした。さだまさしの音楽流れ、キツネが戯れる、そんな想像で気を静めた僕は、今日はやり過ごせると確信していた。
「アアアウ!」俺『キツネ飼ってみてー』「アアアイ」俺『引っ越すかな?』「本日は晴天なり快晴なり」俺『次は、にせこ?とまこまい?海老名でも笑わないぜ』「と、トスカーナっ!」俺『イタリアかよっ』って思ったら最後、まさに(爆)って感じ・・・。
ホント耐えられる奴は羨ましいよ。僕は全然ダメだ。トスカーナの町並みに【北の国から】のテロップが浮かんで「あ〜♪あ〜♪あああああ〜♪」じゃ、なす術なしさ・・・。