コミック配信とソニー

久しぶりに、新聞の各紙面に目を通した。気になったのは、ソニーのコミック携帯配信への参入。でも、ネットでも載ってるな・・・。新聞取るの止めようかな?
ソニーのコミック携帯配信は、『10作家300作品』とのことだ。水木しげる楳図かずお永井豪といった、古参の漫画家たちを抱え込んだらしい。「携帯でダウンロードを行う世代って、主に若者じゃないの?」とか「そこらへんのマンガを読む人って、ちょっとしたコレクションにするために、購入するんじゃないの?」っていう、当たり前の意見は出なかったのだろうか?
すでに参入しているNTTソルマーレは、若者や立ち読みなどに抵抗感を示す女性をターゲットに置いた商戦を行うらしい。負けてソニーのブランドが、また汚れるような気がするな・・・。まあ、定額制を睨んだ配信事業なんだろうけど、あんな小さな画面でマンガなんて読んでも、面白くないよ。あくまで僕個人の意見だけど、携帯で音楽を購入して聴いたり、マンガを読んだりしてはダメだと思う。
当然だが携帯は、音が悪い。良い携帯買えば、良い音が楽しめます。なんてことを言われたとしても、携帯音楽プレイヤーの方が安価でクリアなサウンドが楽しめるはずだ。わざわざ、高い金払って、しかも高い料金の携帯ダウンロードなんてのは、よしたほうがいいと思う。高価なオーディオで聞くなんて必要はないが、やっぱり、好きなミュージシャン(アーティストって言葉は嫌い)の音楽は、それなりの音の出せるプレイヤーやオーディオで聞くべきだと思う。様々な工夫を凝らして、なんとかいい物を作ろうとしてるのに、電話器で聞いちゃうのは、なんかアレでしょ?
マンガも同じで、一コマ一コマ練りに練って書かれてるのに、小さなコマとかよく見えなかったりするのって、おかしいでしょ?定額制で大して興味のないマンガを、チョロチョロって小さな画面で見て、「なんか全然つまんなかったね」なんて言われたら、たまらんと思うよ。
僕は、「最近の子供は、活字を読まないから想像力がない」なんていう、曖昧で滑稽な意見には、大反対だ。そんなことは、大作家なりアカデミー映画監督なり巨匠なりロックの神様などの、想像力と創造性に溢れた人のみが、口にして良い言葉だと思うからだ。
オウム事件の時になぜか名前が売れて、ワイドショーのコメンテーターをやってるオッサンオバサンなどのどこに、想像力を感じることが出来るだろうか。活字ばっかり読んできたくせに、ありきたりで保守的な意見しかでてこない。で、子供と向かい合って研究もしてないくせに、平気で「高尚な自分とは違う育ち方をする連中は、みんな愚かなんですよ」みたいな言葉が口をついて出てくるわけだ。
随分と話が逸れてしまったが、マンガにしろ音楽にしろ、様々な想像力を要求する表現が盛り込まれている。もちろん、それは、受け手の自由だ。それは、活字の媒体も同じで、受け手の読解力が低ければ、何万冊読んだって、何の想像もつかなかったりするんだけどね。まあ、そういうわけで、マンガとか音楽も、その作品をより良い形で受け取ったほうが、受け手の楽しめる範囲が広がると思う。範囲を狭めて、質の悪いものを決して安くない値段で購入するのは、少し考えものだと思いませんか?基本的に、若者は金がないわけだから、売り手の大人も気を使うべきだと思うんだけどね・・・。
そういや昔、ソニーには「超能力」研究所とかあったよね。好きだったな、誰もやらないことをやるスタイルが。製品においても、「良い物なんだから売れるんだよ!」って傲慢な姿勢で売って、「悪いものだけど、俺らはつるんでるんだ!」って姿勢の松下なんかにやられてたよね。そういうのが良かったんだけどなあ。今じゃ、「儲かりそうだからやる」ってスタイルなのかな?ロクでもないもんを、売りつけんなよな。
集英社系もしくは講談社マンガ雑誌で、評価の高かった読みきりマンガなんかを配信しない?年間ベースで考えると、相当いい作品ありますよ。ほとんどが、コミック化できないから、むしろこっちの方が、市場価値が高いと思うんだけど。もちろん、宣伝は難しいから、始めのうちは、無料で数本配ったりしなきゃいけないだろうけどね。成功したら、埋もれてる作家の再発掘になるしさー。やろーよ、ソニー。そっちの方が、あんたらのスタイルに合ってるぜ。